高山にやってください

米澤穂信についてつらつらと

映画氷菓の予告映像を細かく見てみる

こんにちは。
昨日に引き続き更新です。

そして今日も映画氷菓の話です。



タイトルの通り、映画氷菓の予告映像に出てくるカットを
原作やアニメと比較して詳しく見ていきます。

それではさっそく。


この記事では
米澤穂信 〈古典部〉シリーズ
・アニメ  「氷菓
のネタバレを扱います。ご注意ください。





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廊下を歩く奉太郎、千反田、里志。
天井を指さしていること、伊原がいないことから、
いつの間にか鍵をかけられた謎の解決シーンでしょう。


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美術室を訪れる古典部一同。
愛なき愛読書の解決シーンですね。



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千反田に詰め寄られる奉太郎。
背景は地学準備室。
原作では地学講義室だったのが、アニメと同じく地学準備室へ変更。

アニメでは古典部四人では空間を持て余してしまうという理由だったため、
今回もほぼ同じ理由でアニメに倣った形でしょう。


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しかし、よくよく見るとものの配置などもなんだかアニメに近い……。





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奉太郎が部室で千反田に出会うシーンか。
こちらもなんだかアニメに似た構図。



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文化祭の準備をする生徒たちの間を走り抜ける千反田と奉太郎。
文化祭準備が始まっているということは小説のラストの後日談に当たる部分か?
あるいは……。



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喫茶パイナップルサンドで待ち合わせをする二人。
こちらもアニメでモチーフとされた
実在する喫茶「バグパイプ」で撮影されたようです。


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本郷奏多が演じる関谷純。
上のカットは学校を去るシーンでしょうか。


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伊原の紹介シーン。
背後には漫研のポスターらしきものを貼っている生徒が。
うーん、もしかして映画氷菓では
すでに文化祭準備が始まっているのでしょうか?



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図書館で何やら調べ物をする里志。
33年前の事件を調べるシーンか、
案外、原作で里志が言っていた
「ちょうどその時期のことを調べてたんだ」の部分かもしれません。



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図書室で氷菓を前に佇む「鍵を握る女」。
原作の糸魚川教諭でしょうが、
重要なのはこのシーンで「氷菓創刊号」が映っていることです。
原作では語られなかった創刊号の謎が補完されるのかもしれないですね。



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美しい高山の自然をバックに
自転車で橋を渡る奉太郎と里志。
恐らく、千反田邸へと向かう場面。

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橋の上で奉太郎に向かって手を差し出す千反田。
里志もいることから、入部届を受け取るシーンですね。


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イスタンブールからの手紙。

Tomoe Oreki
10.Tekfen Tower
Buyukdere Caddesi
No.209,4levent,Istanbul
34394,Turkey


Mr.Hotarou Oreki

(???)8 Hakkencho
(Kamiy)ama - si
(?????)018 JAPAN


12-5(6?)-2000



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千反田の横で階段を駆け上がる里志。
腰にはちゃんと青い巾着袋が。


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千反田邸で謎を解く奉太郎。
手元には「団結と祝砲」などの資料。
トイレではなく和室になったようです。

アニメでは、千反田の部屋彼女の努力の跡を見た奉太郎が
本気で謎解きをする気になるという流れが追加されていました。

映画氷菓ではかなり必死に謎解きをしているように見えますし
そういった動機の部分で補完がされていると嬉しいですね。


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「我々の力で、撤回させよう!!」
生徒たちを引き連れ反対運動を指揮する関谷純。

ですが、関谷純の事件の真実から考えれば
このシーンは恐らく奉太郎が
最初の推理を披露した際のイメージ映像でしょう。

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であるならば、少し後に登場する思いっきり殴りかかる関谷純は
千反田の推理のイメージ映像であると考えられそうです。

この想像があっているのなら、
「撤回させよう!」のセリフのすぐ後に
奉太郎の「違う、何か大事なことを忘れている」という
モノローグが入る予告の演出はなかなか憎いです。


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推理をする奉太郎の背後に33年前の事件の情報が流れていくカット。
赤い冊子には「団結」の文字が読み取れます。
おそらく、先ほどの和室で推理するシーンの続きでしょう。

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燃え盛る格技場。
その現場には糸魚川少女。

そして、叫びを上げる関谷純。

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窓の外の何かを見る糸魚川少女。


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氷菓の真実を知り、
すべてを思い出した千反田が涙を流すシーン?


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図書室に集まる古典部
机に置いてあるのは「神山高校 五十年の歩み」と図書貸出カード。
奉太郎はアントニニー・バークリーの「毒入りチョコレート事件」を読んでいる。








気になったシーンはこのあたりでしょうか。
全体的に絵作りはアニメを意識した感じになっているように見受けられました。

今回は予告映像に映ったカットで
気になった個所を洗い出していっただけですが
こちらではちゃんと考察っぽいことをしました。

bluenovels.hatenablog.jp


もしよければ併せてご覧ください。

映画氷菓について紐解くつもりが妄想が加速した ※10/29追記

お久しぶりです。
あるいははじめまして。



米澤穂信、好きですか?
私は大好きです。

本日、そんな米澤大先生のデビュー作『氷菓』を原作とした実写映画の
予告とポスタービジュアルが解禁となりました。


▼映画氷菓 ポスタービジュアル
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▼映画氷菓 予告映像
www.youtube.com



とてもワクワクする映像です。

実は私、映画氷菓のエキストラとして撮影にちょびっと参加していて
その手前今まで考察等書きづらかったのですが、
本日の情報で私がエキストラ撮影で手に入れた情報と
ほぼ同じ物が公開されました。

そんなわけで情報バレも気にする必要も必要なくなって
映画上映まで二か月もあることだしここいらで考察等まとめてみようかなと思った次第です。





この先の内容では
米澤穂信 〈古典部〉シリーズ
・アニメ  「氷菓
のネタバレを扱います。ご注意ください。


あと、後半は妄想が加速しすぎてぐだぐだなので
生温かい心で読んでいただけると幸いです。



まず、どの程度原作に沿っているのか?


氷菓』を始めとする〈古典部〉シリーズは
2012年に京都アニメーションによってアニメ化されました。

こちらはかなり原作に忠実に作られていたものの、
キャラクターの性格や物語のオチなどでも
アニメ向けに改変がされていました。

中でも大きな変化は、年代の設定でしょう。

原作では奉太郎たちは2000年に神山高校へ入学しますが、
アニメ氷菓では放送当時に合わせ2012年へと変更されました。



今回の映画氷菓では、
優しい英雄事件を「33年前」としていることから
原作に沿った年代設定のようです。
(アニメでは「45年前」の事件とされました)


では、内容的にはどうか?

KAD〇KAWAの青春ミステリの実写映画というと
ミステリ要素(の他にもガッツリ)と設定が削られたことが記憶に新しいですが
……さて氷菓の運命は如何に。

とりあえず、予告でも「日常に潜む小さな謎を解く」と言っていることから
優しい英雄事件だけでなく日常の謎パートも扱うようです。ほっ。



▼今回のビジュアルに変更される前の公式サイトの背景
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で、こちらを見ると

・創刊号の【持ち主】
・図書貸出記録の【(???)】
・【バックナンバー】のありか
・33年前の【文集「氷菓」(???)】
・地学準備室の【鍵】
・叔父の【失踪】
・【灰色】の青春
・関谷純の【言葉】
・【古びた各議場】の見える(???)
・偽りの【英雄】

以上の文が読み取れます。
不明の部分は(???)で表記。


これを見る限りはかなり原作に忠実なシナリオのようです。


「愛なき愛読書」は予告映像でも映っていて
ほぼ原作通りにやるものと思われます。

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ただ、「バックナンバー探し」については未成年の喫煙という扱いづらい題材な上、
遠垣内先輩らしき人物が全く映っていないこともあるので
内容の変更の可能性は高いと思います。


しかし、それ以上に問題なのは氷菓の核でもある「優しい英雄事件」です。

事件の中心人物であり千反田の叔父である関谷純には
人気若手俳優本郷奏多がキャスティングされています。

また、予告映像でも過去の神山高校のものと思われるカットが多数登場していることから
原作やアニメでは描かれなかった「33年前」に焦点を当てたものになりそうです。


では、それはいったいどんなものになるのか?










33年前を軸に再構築された氷菓

さて、ここからが本題です。

映画氷菓では「優しい英雄事件の映像化」以外に
もうひとつ原作とは違い大きく扱われているものがあります。


それが彼女。
「鍵を握る女」です。

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ビジュアルや図書室にいることからも
彼女は原作の糸魚川教諭であると予想できます。


また、映像中には33年前の彼女と思われる姿も確認できます。

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別に優しい英雄事件を映像化するのなら
彼女が何度も映ること自体は特段おかしなことではありません。

しかし、問題は彼女が図書室に置かれた氷菓を前にするカット。

ここでは、原作では最後まで登場せず
結局なぜ紛失してしまったのか不明のままだった「氷菓創刊号」が映っています。

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ここで二つの事実がわかります。

氷菓は劇中のどこかで図書室に置かれる
・またその時は創刊号が欠けていない


さらに、予告映像の前に公開された特報映像では
原作通りに段ボールに隠された金庫から氷菓が出てきたと思われる描写もあります。

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「神山高校五十年の歩み」や「団結と祝砲」を持ち寄って
奉太郎たちが推理をしている描写がある以上
金庫から発見された氷菓はやはり創刊号が欠けていたのでしょう。


また、先ほどの糸魚川教諭が氷菓を眺めるカットと
奉太郎が図書室で謎解きをするカットを比べると
後者では氷菓は置かれていません。

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そこで私はこう考えました。

氷菓は図書室から移動され
その際に創刊号は失われたのではないでしょうか?


映像で確認できる氷菓の一番新しい巻は「30号」です。
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面陳列されていることからこれが最新号だと仮定すると
図書室に氷菓が置かれているのは奉太郎たちが入学する3~4年前、
1996~97年頃だと考えられます。

この後、氷菓は移動され金庫の中へとしまわれることになったのではないか。
しかし原作では「元々金庫に入っていた氷菓が部室の入れ替えによって金庫ごと紛失した」
という経緯があってあくまで段ボールに金庫が隠されることになったのは
遠垣内先輩によって引き起こされた偶然でした。


では、映画ではなぜ氷菓はわざわざ金庫へと入れられ
さらに段ボールで隠されることになったのか。

学校の事情により他の部屋に移動するだけなのであれば
わざわざ金庫になんて入れないしましてや段ボールで隠したりはしません。

当然、何者かが意図的に氷菓を隠したことになります。

では、それは誰か。
こうなると当てはまるのはただ一人だけです。
古典部の関係者であり図書室にあった文集を管理する立場にあった
「鍵を握る女」……そう、糸魚川教諭です。


33年前の火災の日、現場の中心にいたのもまた彼女でした。

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原作では彼女の33年前はほとんど語られませんでしたが、
映画では事件を目の前で見てきた当事者の一人として描かれるのではないか。

そして、「先輩が残したのはただひとつ、氷菓」というセリフから感じられるのは
彼女は関谷純の真意を読み解くことができなかったのではないかということ。
(原作では、あえて言わないだけで気が付いていたのかもしれないという感じの描写)


そうだとすれば、奉太郎が謎を解いた末に彼女が何を思うのか、気になります。




(もうひとつ思い浮かんだ可能性として
 糸魚川教諭が氷菓を眺めるカットが映画のエピローグに当たる場面で、
 すべての事件を解決した後に氷菓創刊号が発見され
 まとめて図書室に安置されることになったというパターンも考えられますが)




最後に

上の考察……もとい妄想のなかで
「面陳列されていることから30号が最新」と仮定していますが、
これちょっと苦しいですね。

ここについては一応「30号」が何か重要な意味を持つ可能性がある
という発想に至ったあるモノがあります。


それがこちら。
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映画氷菓のエキストラ撮影に参加した際にもらえたノートです。

いやいや反則だろうそれは、と思われるかもしれませんが
SNSへの投稿オッケーでTwitterでも結構出回っていたので
考察の材料として扱わせてください。

で、ご覧の通りノートは「氷菓30号」をあしらったものです。

エキストラに参加したTwitterのフォロワーさんでも
なぜ30号なのかを気にしている方がいました。

原作を踏まえても30号の年には特に何もなく、
わざわざこれをノート化した理由はよくわかりません。


ですが、もし30号が特別な意味を持つとすれば
それは古典部の部員減少によって31号以降が作られなかった場合ではないか。


 追記:2017/9/9
 
 記事を読んでくださった
 Twitterのフォロワーさんより面白い指摘をいただいたので追記します。

 「氷菓30号というとちょうど折木供恵が在籍していた頃じゃないか」ということです。

 供恵は奉太郎の5歳上の姉です。
 神山高校に在籍していたのはちょうど1996~98年。


  ▼時系列と年齢の簡易まとめ
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  (氷菓の号数は毎年1号ずつ出ていた時の場合)
  (関谷純の年齢はもうひとつ上の可能性も。確定できる描写が見つけられませんでした)


 ただ、こうなると今度は「30号が最後の氷菓になった」という可能性は薄そうです。
 もしそうなれば、氷菓の刊行を断ち切ったのが他でもない供恵になってしまうからです。
 氷菓は少なくとも32号までは作られたと考えたほうがよさそうです。

 しかし、こうなると糸魚川教諭に対して供恵が何か働きかけた可能性なども考えられます。
 
 あえて30号に拘るなら、
 30号で供恵が書いたなんらかの内容が糸魚川教諭の心を動かし
 氷菓を隠すまでに至った……とかですかね。


 さらに追記:2017/10/29


 新しい情報が手に入ったため考察に追記をさせていただきます。

 まず、情報というのはこちら。

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 http://fansclub.jp/pc/event/detail/000203

 映画氷菓のグッズの文集「氷菓」ノートです。

 そして、『氷菓 創刊号』と一緒にあるのはなんと『氷菓 三十一号』!
 そしてその絵は、摩耶花が描きなおした表紙と思われるものなのです。

 つまりここから考えられる展開はこうです。

 前回の追記では否定しましたが、やはり氷菓は「30号」で一度休止したのではないでしょうか。
 なぜなら、年代設定が原作通りである以上、もし氷菓がちゃんと続いていた場合摩耶花が表紙を描くのは「34号」になるはずだからです。
 にもかかわらず、「31号」が奉太郎たちが作る氷菓として登場するということは、折木供恵が在籍中の「30号」でその発行が一度断たれたこと以外考えられません!


 つまり映画氷菓では関谷純や糸魚川教諭だけでなく、折木供恵までもを事件に積極的に絡ませあらゆる世代の古典部たちが動いていく話となるのではないでしょうか。


  追記ここまで




まあ、こんな妄想を語れるのも映画公開前の今のうちだけなので
存分に語らせていただきました。




後半は妄想が過ぎましたが、
映画氷菓が「優しい英雄事件」を大きく扱って映像化するのは間違いないでしょう。

それは、原作はもちろんアニメやコミックスでも為されなかったアプローチです。

氷菓」が世に出てから16年にして作られる新たな氷菓
果たしてどのような形になっているのか。
映画の公開が待ち遠しいばかりです。

2016 11/5(土) 公開講座〔トークイベント〕 米澤穂信氏を招いて ――その創作の謎を解く――

こんにちは。
小雪です。

今回は金沢学院大学学園創立70周年記念事業として2016年11/5(土)13:00~14:30に開催された、米澤穂信先生の公開トークイベントに参加したレポートとなります。

実は一か月ほど前から「11月に金沢学院大学米澤穂信先生の講演会が行われる」という噂は密かに流れていました。

が、探せども探せども信頼できるソースが見つからず……。

仕方なく11/4の昼に金沢学院大学へ電話をかけてみると、なんと「明日の13:00から公開講座を行う」とのことでした!

後から聞いた話では、どうもイベント参加希望が殺到するのを防ぐために意図的に情報を伏せていたそうです。

あまりにもギリギリなタイミングでの発覚でしたが、そのまま一般参加の申し込みを受付していただき、仕事終え帰宅するとすぐに金沢へ向かう準備を。

翌朝6:00頃に出発し、ボトルネックの舞台でもある金沢を目指しました。

途中電車が遅延したり、新幹線で晴れている高山連峰なども見つつ、なんとか11:00頃に金沢駅へ到着。

待っていたのはボトルネックで描かれていたような、どんよりと重たい灰色の空……







ではなく、雲一つない真っ青な快晴!

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 駅前広場を高く覆う、金属パイプの天蓋。そして、DNAのようにねじれあった柱が支える、木製の巨大な門。おそらく、観光客を出迎えるためのもんなのだろう。駅に降り立ち、観光地という非日常に足を踏み入れる観光客を迎える、見上げるような門。……しかし、いまから金沢を出ようというぼくに、その門は何か別の、異様な印象を与えた。この門をくぐることに一瞬、ためらいさえ覚える。あるいは、単に巨大な構造物へのいわれのない恐怖のためだったのかもしれないが……。
   --米澤穂信ボトルネック』より

うーん、晴れているとさすがにそんな物々しさがないですね。

観光をしている暇もなかったので、駅近くのラーメン屋でさっさとお昼ご飯を済ませるといざ会場、香林坊へ。

そう、あのリョウが寝泊まりした漫画喫茶のある香林坊です!

金沢駅から徒歩でラモーダまで。
建物の目の前に行くと、こんな看板が。
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ここまで来てようやく「ああ、本当に米澤先生いらっしゃってるのか……」と謎の感慨に。
あまりにも情報が出回らなかったのでもしかして偽物のイベントに騙されているのでは、と思っていたのです。

そのまま9階へ上がり、真ん中ちょっと前くらいの空いている席を確保。
(前四列くらいは高校生専用なのです)


で、待つこと30分ほど、始まりました公開講座

講師は我らが米澤穂信先生。
聞き手として文藝春秋の宣伝プロモーション局長羽鳥好之さんと、金沢学院大学文学部准教授の蔀際子さん。

では、以下会場で取ったメモを元にざっくり書き起こしたレポートになります。

どのくらいざっくりしているかというと「文化は」と書かれたメモを「文化というものに対してはどのように」としているくらいにはざっくりです。
特に、米澤先生の言葉に神経を注いでいたため、聞き手の蔀准教授の方はかなり元と違うものになってしまっている気がします……。大変申し訳ございません。

そのためかなりざっくりと意訳して書いており、書き洩らし、ニュアンスの違い等も多々あると思いますので、そのあたりはあらかじめご了承ください。

                                                                                                                                                          • -

蔀准教授
「大学時代は金沢にいらっしゃたということですが、4年間どのように過ごされましたか?」

米澤先生
「学生生活に入ったころにちょうどWindows95が発売され、インターネットの時代が始まりました。
 中学のころから小説をやっていましたが、あまり人に読んでもらうということはなかったので、インターネットを使えば小説を晒すことができると考えました。
 ろくに街も見ずに小説を書いていたので、今回金沢へ来て初めて発見したということも多かったです」

蔀准教授
「高校まで過ごされていた高山とはどういった部分が違うと感じられましたか?」

米澤先生
「この街は、お城が中心となっていて駅が町から外れた位置にありますね。
 私はこれを京都に似ているなと思いました。
 道がお城から放射状に、蜘蛛の巣状に張り巡らされた様子が。

 一方で、高山はどちらかというと商人町が中心となったものでした」

蔀准教授
「自分が住んだ街を俯瞰的に、歴史が被る視点の深さが凄いですね。

 ところで『氷菓』はもともと大学生を主人公にしていたということですが、米澤先生の大学時代というとちょうど金沢にいたころですよね」

米澤先生
「『氷菓』は大学四年の時に賞に投稿しました」

蔀准教授
「大学生から高校生の四人にしたのは、どうのように?」

米澤先生
「『氷菓』が大学生だったというより、
 そのプロトタイプといったものが大学を舞台にした話だったんです。

 小説としてこういうものをミステリにしたいと考えたとき、ビルドゥングスロマンをミステリにしたいと考え、それならばより成長を書きやすい高校生にという形です」

蔀准教授
「当時、ミステリと学園物という組み合わせは望まれていたものだったのでしょうか?」

米澤先生
「それは角川の心積もりなので実際のところはわかりませんが、当時ミステリと学園を合わせたものをやろうという動きは業界の中でもいくつか動いていました。

 また、少年少女小説とミステリという組み合わせは全く新しいものというわけでなく江戸川乱歩の少年探偵団など伝統のあるものでした」

蔀准教授
氷菓日常の謎を扱っていますね。
 そちらについてもお話を伺えれば」

米澤先生
日常の謎というのは一般的には北村薫先生の『空飛ぶ馬』をきっかけに生まれたジャンルといわれています。
 しかし、「ミステリだから人死にが出る」というのは最初期からあるものでもないのです。
 エドガー・アラン・ポーの『盗まれた手紙』など人が死なない推理小説はありました。
 それを最初にジャンルとして立ち上げたのが北村先生で、以降、加納朋子先生や倉知淳先生などがジャンルとして確立していったのだと」

蔀准教授
日常の謎は海外ではどのような扱いを?」

米澤先生
「海外にはあまり日常の謎ものはみられないですね。
 そもそも、ミステリに人死にが必要だと言い出したのがロナルド・ノックスなどの海外作家だったので。
 やはり黄金期は殺人事件が主でした

 ハードボイルドでも殺人を扱うか、人死にがなくても誘拐事件であったりと人の死なないことを謳ったものは覚えがないですね」




蔀准教授
古典部シリーズはもともとシリーズ化を考えていたのでしょうか」

米澤先生
「最初は氷菓一冊で考えていました。
 そもそも新人賞に送った段階で次回作を書くとは思っていなかったので。
 でも、受賞直前に続編となる投稿作は書いていました」

蔀准教授
「中学生のころから小説を書いているとのことでしたが、ビルドゥングスロマンを書こうと思ったのはいつからですか?」

米澤先生
氷菓を書いた大学3年からですね」

蔀准教授
「成長ということで、自身の過去を反映されたりはしましたか」

米澤先生
「あまり関係なかったですね。
 高校の時は弓道をやっていてここで勝てば県大会へ行けるというところまでいったという感じです」

蔀准教授
「スポーツ青年だったのでしょうか」

米澤先生
弓道なので技量は磨きますが……。
 当時の顧問の方針もあって、弓というのは心で飛ばすものではない、と。
 こういう風に姿勢を作ってこうやればまっすぐ飛ぶ。
 その上でそれを保つ精神が必要だ、という。
 夕暮れの土手をマラソンするようなものではなかったですね」



蔀准教授
氷菓ですが、アニメの方はご覧になったのでしょうか。
 古典部といえば成長の痛みですがそのあたりについてはどうでしたか」

米澤先生
「アニメについては企画会議には出たのですが、制作はアニメ会社にすべてお任せしていました。
 脚本も、賀東招二先生という信頼すべき先輩作家の方が担当していたので」



蔀准教授
「金沢が舞台の小説としてボトルネックがありますね。
 こちらは成長を描いた小説の統括として書かれたとのことですが、金沢にした、場所のつながりというものはあったのでしょうか」

米澤先生
氷菓は架空の街が舞台でした。
 一方でボトルネックは異世界、パラレルワールドが舞台です。
 もしここで架空の街を使ってしまうと架空の中に架空となってしまい書こうとしているものに合わないのではないかと。
 そういったこともあり、土地の力を借りるつもりで金沢を舞台にしました」

蔀准教授
「このボトルネック、一行目の書き出し『兄が死んだと聞いたとき、ぼくは恋したひとを弔っていた。』も凄いですね。
 たった一行で二つの死。
 その後の描写も北陸の冬とよく重なります」

米澤先生
「昔の小説を読まれると逃げたくなってしまいますね……」

蔀准教授
「雨が多いといった描写なども意識的に使われたのでしょうか。
 金沢といえば曇天。
(しばらく金沢の話、書き取り切れず。
 東尋坊に手向けた花は地元民ならナントカを連想するとか
 作中に出てきた地名について言及)
 最初にリョウが目を覚ましたサイクリングコースなどは
 当時の生活圏だったのでしょうか」

米澤先生
「被っていましたね。
 当時、外で本を読むのが好きだったんですが寒すぎるのであそこでは読みませんでしたね。
 金沢城で読んだことはありましたが」

蔀准教授
「米澤先生は、読書家でいらっしゃいますよね」

米澤先生
「作家をやっていて、編集さんに会ったりすると本当に化け物みたいな人たちがいますけどね」

羽鳥さん
「たくさん読んでいる人というのはいるんですが、米澤先生のように芥川や泉鏡花から歴史書に至るまで幅広い知識を身に着けている人はそういないです。

 米澤先生にはミステリをやりながら歴史や青春を描くなど、そういった可能性に期待しています。
 幅広いジャンル、あらゆることに関する知識を使った小説」

米澤先生
「恥ずかしいのですが、こんな美しい街でひきこもりのように本を読んでました。
 いえ、外に出なかったわけでもないのですが……。

 自分が学生時代、どこに行くでもなく小説を書いてばかりいたわけでもないんですが、金沢を出ていくときに後悔……ではないんですが、自分がこの街をきちんと見ていかなかったことに「しまったな」と。

 その後は、「しまった」と思うことのないように心がけてはいます。
     
 未だに家の中にいるほうが多いんですけどね」

蔀准教授
「文化というものに対してはどのように」

米澤先生
「大づかみでこの街はどのういう風になっているのかを見ます。
 面白い街といえば神戸です。
 あんな風に東西に細長いところは他にないでしょう。
 大づかみに見て『この街はこういう構造を持っているのか』と」

蔀准教授
「そういったところからでしょうか、登場する人物が生きているのが感じられます。


 ボトルネックでは『全能感』と『無能感』をテーマにしたとのことですが」

米澤先生
「小説の根幹をなす要素で自作解説みたいになってしまうのですが……。

 若いころというのは0か1か、白か黒かというような考えに陥りがちです。
 みんなが馬鹿に見えたり、自分だけが特別だと思ったりと思考が極端に振れてしまうことがあります。
 他人への広い視野をまだ持ち得ていない、全能感と無能感を強調し『自分はこの中で誰よりも利口ではないし馬鹿でもない』と。
 そういった当たり前に気が付く過程を書きました」

羽鳥さん
「今回の公開講座をきっかけにボトルネックを再読したけれど、よく当時、これだけのものを書き上げたなと思いました。

 パラレルワールドの姉が自分とは違う性格をしていて、主人公は失望と無気力に満ちたすべてを諦める精神構造をしている。
 しかし、それでいて強い自意識を持っていて自分が他の人とは違う生き方をしていると思っている。
     
 主人公がパラレルワールドで、元の世界では死んでしまった自分の兄と出会うシーンがあります。

 兄の会話の凡庸ぶりにあきれるのですが、それが実は自分も同じなのではないかと気が付くシーン。

 人間としてワンランク上へ行く、何者でもない平凡な人間だと気が付くシーン、これが本当に秀逸です。

 十代の不安定さ。
 何者かであってほしいのに無力であること。
 全能感と無能感の描写が奇跡的なまでに優れた作品です」

蔀准教授
「米澤先生の作品の魅力についてはどうでしょう」

羽鳥さん
「私は編集という、作家にすぐれた作品を書いてもらうための仕事をしています。
 米澤さんとは直接仕事をしたことはないですが、ここ何年か付き合いがありまして。


 米澤さんが優れているものについてですね。

 ミステリのジャンルというものにはいくつか種類があります。
 米澤先生はそういった中で、パラレルワールドものである『ボトルネック』、密室ものである『インシテミル』、日常の謎の名作も多く手掛けているし、リドルストーリーを突き詰めたものとして『満願』など、あらゆるミステリジャンルに名作を残しています。

 名作というのはたくさんあるし、名作を書く作家というのも多くいます。
 しかし、米澤さんは宮部みゆきさんなどそういったベテラン作家がある程度年数を重ねてから書くレベルにすでに到達している。

 今、これをやっているなら将来はいったいどうなるのか。
 
 私が期待しているのは、歴史というジャンルです。
 あらゆる分野に興味を持ち歴史にも造詣の深い米澤さんが、ミステリのあらゆるジャンルを身に付けてその手法を用いて鮮やかに歴史を紐解くミステリをやれば、それはどれほどか。


 今日の参加者には米澤さんのような小説を書きたいと思っている人もいると思います。
 そういった人は、いろんな代表作を読んで、これはこういう意図で書かれているのだと理解できれば、米澤さんを理解することにも繋がるはずです。
 小説を書きたいと思っている人は、まずは模倣とトレーニングを重ねてください」


蔀准教授
「米澤さんの最近の作品についてもお話しできればと。
 『王とサーカス』と『真実の10メートル手前』、これは『さよなら妖精』の太刀洗万智という人物の10年後を描いたものになっていますね」

米澤先生
「これはいろんなところで話しているのですが、さよなら妖精はもともと古典部シリーズの三作目として考えていたものなんです。
 しかし、レーベルがなくなってしまい発表の場がなくなっているところで東京創元社の方からストックを聞かれ、さよなら妖精をお見せしました。
 それを見た編集さんが『これは世に出さなければいけないものだ』と。
 結果、リライトして別のものとして出版されることになりました

蔀准教授
「一人の登場人物を長く育てることについてはどうでしょう」

米澤先生
太刀洗万智に限ってではないんですが、小説の前や後にもその人物は生きていた・生きていくんだと。
 物語の中だけでなく、その人物には前や後もある。

 太刀洗の成長した姿を書くのも、特別なことではなかったです。
 
 古典部は2000年の話ですが、2015年の今あの子たちはどうしているだろうかと考えることもあります。
 作中に漫画を描いている女の子(摩耶花)がいるのですが、その子は漫画を描けているのかなーとか、食べていけるのかなーとか。
 編集さんにも相談してみたりするんですが、『大丈夫だと思いますよ』と言っていただきました」

 太刀洗はジャーナリストなんですが、王とサーカスから数年たって今の世の中では月刊誌の力がなくなってきているけれどどうしてるかなと。
 ノンフィクションライターとしてやっていけているのだろうかと」

羽鳥さん
太刀洗といえば、これは昨日米澤さんとお話していたんですが『太刀洗』という地名はたくさんあるんですよね」

米澤先生
「これは来週の福岡の大刀洗町で行う講演会で話すつもりで調べていたんですが……。

 太刀洗という苗字は、丹羽基二さんの本からとったんです。
 ところが、福岡に同じ読みの街があるということで調べてみると太刀洗と着く地名が日本中にあるんですね。

 次から次へと見つかるので途中で調べるのをやめましたが、本当に戦場で血を洗ったのはどれくらいなのかなと」

羽鳥さん
梶原景時という、平家物語ではあまり好ましくない扱いの武士がいるんですが、彼が湧き水で太刀の血を洗い流したという伝説が鎌倉から広がっているんです」

米澤先生
「調べていくうちに、太刀の血を洗ったという話が水戸光圀の旅行記以前でどうも遡れなくなりました。
 そこで、これは当時に出てきた伝統の創造だったのではないかと」

蔀准教授
太刀洗万智というと、女性だけれど拳のような、感情を表にしない人物で。
 それでいて実は一番傷ついているのが彼女ですよね。
 作中でも『事実とは何か』という問いがでますが、米澤先生は事実の相対性についてどのように?」

米澤先生
「書きたかったこととして『ものを伝える』とはどういうことか、というのがありました。
 自分もものを伝える仕事だけど、客観的に行うのは難しいです。
 どうしても視野・視差が入ります。
 しかし、逆にそれがないかのように書くほうがおこがましいのではないかと。

 かつては、ものを伝えることが主観に基づくものだと報道に携わる人間ならだれもが知っていました。
 しかし、報道の裾野が広がり改めてそれらを、自分も含めて広く考える必要がある段階に到達したのではないかと。

 私はあまり作品を通して人に説教をしたくはありません。
 あくまで『自分がどうか』を書くようにしています」


蔀准教授
「今月末に古典部の最新作が出ますが、今後の新作の予定はどのようになっていますか」

米澤先生
「本の発売日というのは、どうしても流通の都合でずれがあるので発表された日付が正しいとも言えないのですが……。
 今月30日に古典部の最新刊『いまさら翼といわれても』が出ます。

 自分の小説の話になると早口になってしまいますね。

 それから、文藝春秋から女性主人公の現代ものを刊行予定です。

 また集英社では、雑誌に連載しているバディものをまとめたいと。
 これについては、書き下ろしでこれまでと違う展開にしていきたいなと思っています。
 できれば来年に出せればと思います。

 それと来月、東京創元社の雑誌ミステリーズにて小市民シリーズの新作短編『巴里マカロンの謎』を予定しています」




ここでトークショー開始から一時間が経ち、受講者による質問の時間へ。

質問者U
「文春の方が米澤先生はいろんなものに興味があるとおっしゃっていました。
 その中でも、米澤先生が目指すものとして泡坂妻夫の『乱れからくり』を挙げられていますが、自分が目指すものと自分が歩んでいる道が一致していると感じたことはありますか」

米澤先生
「ええ、ではまず泡坂妻夫について。
 彼は紋章上絵師の職人であり、かつては本名である厚川昌男の名を冠した賞があるほどの手品師であり、優れた作家でもありました。
 教養深く、それでいてひけらかさない。
 教養と知、まさに文化に対する敬意を持った方でした。
 それを思うと、まだここには遠いなと思います」


質問者N
「私はアニメ氷菓をきっかけに原作である小説も読むようになりました。
 氷菓は小説の方が苦みのある結末で、アニメでは少しマイルドになっていますよね。
 今後、小説を書いていくうえで古典部がアニメの方に引っ張られるというようなことはありますか」

米澤先生
「あれは、アニメ会社の人たちが彼らの作品を愛する人たちに向けて作ったものだと考えています。
 それぞれがそれぞれの作品に力を注いだということです。
 そういうつもりではいたのですが、新作短編を書いているときに小説では地学講義室とすべき所を、アニメの古典部部室である地学準備室と書いてしまった箇所がありました。
 
 アニメに関しては、登場人物の心持は違うものになっていますが、良いものにしてもらったと思っています」



高校生質問者
Windows95のころに大学生だったというお話がありましたが、最近ネット小説などが流行っていますよね。
 こういったものについてはどうお考えでしょうか」

米澤先生
「小説は、パピルスに書こうが四六判に書こうが小説です。
 ネットだから姿勢が変わるというようなことはないと考えています。

 しかし、方法論がもたらす本質的な差はあるはずです。
 昔、原稿用紙に小説を書いていた時代は直すのが非常に大変でした。
 名前を太郎君から次郎君に変えるだけでも一苦労です。
 PCだと、一括変換もできますし挿入も簡単です。
 そういったことが本質的に影響があるかもしれないとは考えています。
 しかし、それが文学的にいったいどういう差異があるかまではわからないですね。

 作家は魂をもって小説に奉仕するまでです。

 あとは、安直な話ですが漢字変換ができてしまうというのもありますね。
 私は、自分の中の辞書にない言葉は使わないようにしています。
 難しい漢字を使うことはできますが、自分に身についていない言葉は使いません。
 PCだとそれを簡単に書けてしまいます。
 果たして、それが良いか悪いかまではわかりませんが」

羽鳥さん
「出版社の人間として。
 ネットは自分の表現を見てもらえることが大きいと思う。
 昔は新人賞で選考に残った時、読んでもらえるということがなによりも嬉しかった。
 しかし、つい人の評価ばかり気にしてしまうと、別の意味で小説の変質を招いてしまう」


質問者4人目
「海外を舞台にした作品をいくつか手掛けられていますが、取材に行けないときなどはどこに注意しますか?

 また、創作におけるリアリティについてもお伺いしたいです。
 最近話題になったシン・ゴジラも、今の日本にゴジラが現れたら国防はどう動くのかというシミュレーョンのリアリティが評価されていましたが、国防なんて実際のところがどうかなんて普通の人にはわからないものです。
 現実をそのまま書くことがリアリティに繋がるとは思えないのですが、いかがでしょうか
 」

米澤先生
ボトルネックでは大学時代に住んでいた金沢を舞台にし、関守では雑誌の企画で訪れた伊豆を舞台にしました。

 しかし、ユーゴスラヴィアや2001年のネパールに行くことができないですし、12世紀のイングランドなんてもちろんのことです。
 これらに関してはそれぞれアプローチが違います。

 12世紀末のイングランドを舞台にした『折れた竜骨』では、修道士カドフェルの情景をもとにしています。
 当時の文化などはこれを参考にしています。
 この時にこれはなかったんじゃないか、というものに関しても歴史研究の差異として自分の調べたものを信じて書いています。

 カトマンズは時代ごとに写真集が出ていた他、都市を説いた本などもあり資料には困らなかったです。
 こちらは実際にネパールに行くことはできますが、当時の空気というものは得られないので取材には行きませんでした。
 資料を基に書いた部分もありますし、中には想像で書いたものもあります。

 リアリティについてですが、言ってしまえば『完全なリアルを見たければ街へ出ていけばいいだろう」となってしまいます。
 小説は現実を写しリアルを保存するものではなく、リアルはあくまで小説の主となるものです。

 それに、リアルは時にとんでもないことを引き起こします。

 『時速○○キロのボールを投げ、年間××本のホームランを打つ選手』なんてものを三年前に書いていたら、いい加減にしろ!と言われてしまっていたでしょう。
 (※すみません、野球詳しくないので誰のことかわからずうまく聞き取れませんでした)

 リアルとは小説を広くするものです」


ラスト質問者
「わたしはネット上で作詞をやっています。
 アイディアはお風呂であったり自転車に乗っているときだったりと思い浮かぶのですが、忘れてしまうことが多いです。
 米澤先生は、アイディアはどのような場所で、またそれをどのようにメモをするなどストックしておきますか?」

米澤先生
「サクシ、というのはどちらですか。文章? それとも歌?」

ラスト質問者
「歌です」

米澤先生
「わかりました。
 アイディアが浮かぶのは場合場合によります。
 どうしてこう思いついたのか自分でもわからないときや、またこれこれこういう考えで自分はこれを考えたのだというとき、街を歩きながらこれは不思議だとは思えないだろうかと考えたり、ミステリのパターンから暗号ものを書きたいというところから着想を得たり。

 アイディアの保存についてですが、メモはもちろんしますが大事なのはそれを読み返すことです。
 どうしてそれを考えたのかを思い返すことが重要です」


                                                                                                                                                          • -

※2016 11/7追記
今回、最後の質問者様が書いたレポート写真がついたツイートの掲載許可を頂けたのでそちらもご紹介させていただきます。
(投稿者のウタサカヨミさんからは『あくまで個人的な記録のためのメモのため、クオリティはご了承下さい』とのことでした)

左上に描かれている登壇されていた方々のイラストがナイスです。
向かって左から羽鳥さん、米澤先生、蔀准教授と並んでいました。

また、質問中にもありますが投稿者のウタサカヨミさんはネット上で作詞活動をされているそうで、せっかくなのでそちらの作品リストへのリンクもご紹介させていただきます。
ニコニコ動画でウタサカヨミさんが作詞をされた楽曲のマイリスト https://t.co/w2bTpKuVPm

※追記ここまで




さて、ここで1:30が経ち、トークショーは終了となりました。

編集者である羽鳥さんはともかくとしても、蔀准教授までもがなかなかマニアックな米澤先生の情報まで抑えていて米澤穂信追っかけをやっている身としてはとにかく楽しい講義でした。


しかし、ここで嬉しいお知らせ。
なんと参加者はサインがいただけるとのことです!!

こんなこともあろうかと偶然にも前々からサインをいただきたいと考えていた『春期限定いちごタルト事件』を持ってきていたので、わたしはそれにサインをいただきました。
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このときに少しお話しする時間があったので「文春の悪女モノ新作、とても楽しみにしています!」とお伝えしたところ「まさに今横にいる人を待たせているので……」と隣の女性を見る米澤先生。
なんと新作の担当編集さんだったようです。

また、基本的に情報が公開されていなかったイベントだったため米澤先生からは「なんでいるんですか!? よくわかりましたね!?」とも。
いやー、頑張りましたよ。

翌週の福岡の講演会のために用意していた贈り物を手渡して、握手をしていただくと、名残惜しさを覚えながらも会場を後にしました。


そのあとは、会場にいらっしゃっていた金沢在住のお二人になんとボトルネックの聖地案内をしていただいていたのですが、それはまた追記で編集とさせていただきます。
さすがに疲れたので今回はここまで。

さあ、次は福岡の講演会です!

米澤穂信先生デビュー15周年企画

今年の11月1日は、米澤穂信先生が角川スニーカー文庫
氷菓』でデビューしてからちょうど15年目にあたります。

そこで、米澤先生のデビュー15周年を記念してTwitter上の米澤穂信ファンで
盛り上がれるイベントをできないかと考えた結果、
勝手に作品の人気投票をさせていただくことにしました。

以下、投票企画の説明となります。



  • 投票は米澤穂信先生の著作の中から「長編」「短編」をそれぞれ一人一つずつ行っていただきます。

 (「長編」だけ、「短編」だけの投票でも構いません)

  • 投票はTwitterのリプライで行わせていただきます。

 @Syousetsu_Kのアカウントに
  
  1.長編作品名
  2.短編作品名
  3.#米澤15記念投票

 
 を記載し送ってください。
 

  • 投票期間は2016年10/25(火)22:30~11/3(木)20:00の間とさせていただきます。
  • 集計結果は11月中に@Syousetsu_Kのアカウントにて公開させていただく予定です。
  • また、今回のイベントの結果はよねざわほの部で発行している同人誌に掲載させていただく予定です。あらかじめご了承ください。
  • 当イベントはファンによる非公式の企画となります。米澤穂信先生や各出版社様とは一切関係がございません。

以下、米澤穂信先生の作品リストを掲載しておくので、
ぜひそちらを見ながら投票作品を考えてみてください。

  
【長編】
氷菓
愚者のエンドロール
クドリャフカの順番
遠まわりする雛
ふたりの距離の概算

春期限定いちごタルト事件
夏期限定トロピカルパフェ事件
秋期限定栗きんとん事件

さよなら妖精
・王とサーカス
・真実の10メートル手前

・犬はどこだ

インシテミル

・追想五断章

ボトルネック

・リカーシブル

・折れた竜骨

儚い羊たちの祝宴

・満願



【短編】

※中編・掌編も含んでいます。
※連作の一部も短編とみなせそうなものは短編として挙げておきました。
 ほかにも「これは短編だ!」というものがあればご投票ください。


・やるべきことなら手短に
・大罪を犯す
・正体見たり
・心あたりのある者は
・あきましておめでとう
・手作りチョコレート事件
遠まわりする雛
・連峰は晴れているか
・鏡には映らない
・長い休日
・いまさら翼といわれても
・箱の中の欠落
・わたしたちの伝説の一冊

・羊の着ぐるみ
・For your eyes only
・おいしいココアの作り方
・孤狼の心
・はらふくるるわざ
・シャルロットだけはぼくのもの
・シェイク・ハーフ

・身内に不幸がありまして
・北の館の罪人
・山荘秘聞
・玉野五十鈴の誉れ
・儚い羊たちの晩餐

・夜警
・死人宿
・柘榴
・万灯
・関守
・満願

・真実の10メートル手前
・正義漢
・恋累心中
・名を刻む死
・ナイフを失われた思い出の中に
・綱渡りの成功例
・花冠の日

・奇蹟の娘
・転生の地
・暗い隧道
・小碑伝来
・雪の花

・軽い雨
・黒い網
・重い本

・913
・ロックオンロッカー
・金曜に彼は何をしたのか

・茄子のよう

ほたるいかの思い出

・Do you love me?

・音楽がなければ生きられない

・川越にやってください

・下津山縁起

・青田買い

・リカーシブル――リブート

・馬辺里探訪

・竹の子姫

・野風

・怪盗Xからの挑戦状

・左利きのLady
・脊髄少女
・それが非常識
・爆弾
・Back-up you
・Blue sky as if drawn picture
・供犠
・パロボファ記念館
・予言者(前編)
・予言者(後編)
・Red sky as if drawn picture
・11人のサト

・殴殺
・撃殺
・刺殺
・斬殺


たくさんの方にご参加いただけると嬉しいです。

よろしくお願いいたします。

米澤穂信年表ver1.0が完成しました

お久しぶりです。

2016年11月1日は米澤穂信先生が『氷菓』でデビューしてちょうど15周年です。
そこで、米澤穂信年表を作ってみました。

読んで字のごとく、米澤穂信先生の活躍を年表形式で記したものです。




f:id:seventh_hope:20160924053306p:plain
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さて、「ver1.0」とついている通り
まだ完全版というわけではありません。

まだまだ書き加えるべき内容は山積みなのですが
ひとまずの収まりのよい形まで持って行けたので
今回公開させていただくことにしました。

続・米澤穂信作品の繋がり~神垣内連峰~

こんばんは。

久々の更新です。
実は今(というかいまさら)、
年明けに岐阜県図書館で行われた米澤先生の講演会のレポートを
箇条書きのテキストから外向きにまとめているところです。

近いうちにこちらで公開させていただく予定なので
どうぞご期待ください。


はい、というわけで本題です。

しばらく前に、「米澤穂信作品の繋がり」という題で
こんな記事を公開させていただきました。
bluenovels.hatenablog.jp


ご覧になると分かると思うのですが、
いくつかの米澤穂信作品には共通するワードが登場してるんだぜ!
という記事です。


今回はここで扱った神垣内連峰について少し調べました。

神垣内連峰といえば、
「ぼくたちの米澤穂信」特集の野性時代56号に掲載された
古典部〉シリーズの短編「連峰は晴れているか」に登場する場面が最も有名でしょう。

ところが、この「連峰は晴れているか」ですが
雑誌版とアニメ氷菓BD9巻の特典冊子版の二種類が存在しています。

さて、ここで各媒体に神垣内連峰が登場する場面を見てみると少し不思議なことが。


雑誌版   :神垣内連峰(かみかきうちれんぽう)
氷菓特典版 :神垣内連峰(かみこうちれんぽう)
単行本版  :神垣内連峰(かみかきうちれんぽう)

※12/3 単行本『いまさら翼といわれても』発売につき追記

どういうわけか、ルビが違います。

ちなみに、アニメ氷菓では「かみかきうちれんぽう」と呼ばれていました。

これは誤植なのか?
誤植ならなぜこんな誤植になったのか??

わたし、気になります


ということで調べてみました。



さて〈古典部〉シリーズの舞台である神山市は、
米澤穂信先生の出身地でもある岐阜県高山市をモデルにしているということは広く知られていると思います。

そこで、さっそく高山市周辺にそれっぽい山がないか調べてみました。

まずは高山市から北東へ。
山がたくさんある方へ。

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ん?
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あ、あった!!!
f:id:seventh_hope:20160310000349j:plain

見つけたのは「上高地(かみこうち)」という山でした。

かみこうち!

氷菓特典版の読みと一致します。
ということはここが神垣内連峰のモデルで、
氷菓版は元ネタのルビを振ってしまったということでしょうか?


とおもってウィキペディアを調べてみると……。
上高地 - Wikipedia

「かみこうち」の名称は本来「神垣内」の漢字表記だが、後に現在の「上高地」の漢字表記が一般的となった。
「神垣内」とは、穂高神社の祭神・「穂高見命」(ほたかみのみこと)が穂高岳に降臨し、この地(穂高神社奥宮と明神池)で祀られていることに由来する。

ナ、ナンダッテー!?

まさかの実在する地名でしたよ神垣内。

ただ、作品内で登場する読みはやはり「かみかきうち」の方が多いので、
あくまで実在する神垣内とは別の次元の存在ということなのでしょうか。


※『連峰は晴れているか』が単行本にまとまり、表記が「かみかきうち」であることが確定しました。